✿先日、新歓レクを致しました。
 当日は生憎の曇天、予報でも午後から雨。ということで、雨宿りレクも捨て難かったのですが、代々木公園に行くのは中止になりました。何をするか考えながら、大学構内で昼食をとりつつビンゴ大会をしました。景品を買ってきて、ビンゴ大会です。残念賞ではちみつレモンが振る舞われたりも。
 その後はトランプとウノを少々、地味なようで大盛り上がりでした。しかし折角休日に集まってのレクですからと、その後は水道橋まで歩きボウリングをしました。五人ぐらいのチームに分かれ、いざボウリング。初めての人や久しぶりの人も多かったですが、ストライクもちらほら出ていました。その後はカラオケに。これも四つぐらいに分かれて。その後は夕食にパスタを食べました。二十人で詰めかけたものですから、お店の人には少し申し訳なかったです。そこで新歓レクは終了、解散となりました。夜八時くらいです。
 昼からずっと遊び通しで、急遽変更したプランにしては中々充実したレクになりました。その後に関しては、人それぞれです。
 
✿ฺ明日はいよいよ、大学読書人大賞公開討論会です。
 

 活動予定

 ブログデザインを変更しました。長らく更新されていませんでしたが、これからはもう少し、有効活用をしていきたいものです。しかし誰が見ているものだか分からない為、滅多なことは書けません。活動の情報など書いていこうと思います。

ゴールデンウィークに、新歓レクをします。代々木公園に行きます。
 私は代々木公園に行ったことがありません。なので少し調べてみたら、ケツアルコアトルに関する記述がありました。公園で遊ぶのが、今回のレクになります。例年新歓レクでは神奈川の方へ観光に行っていました。今回は趣を変えて都内です。晴れれば好いのですが、例年この時期は雨が降りやすいようです。
 雨天の場合は大学で読書会と立食パーティーを予定しています。といっても、本を読んできて貰う余裕がなさそうなので、「雨」をテーマに話しながら食べる。みたいなことをやるかもしれません。晴れると好いですね。

大学読書人大賞
 公開討論会 5/4

 いよいよです。読んだ本を候補に出し、候補の本を読んで投票し、選ばれた本を読んで推薦文を書き、推薦文を読んで投票し、そして討論です。読書人大賞に参加すると、色々経験できて好いですね。今まで読まなかったような本もたくさん読めます。

文学フリマ 5/11
 今年は文研も出店側として参加してみたいものですね。冬に備えて見学しましょう。

❁次の部会はゴールデンウィーク明けの木曜です。

❁批評会ではゆきかぜNo.29【新入生歓迎号】の「ひとといとしのアンガージュマン」「薄壁エスオウエス」をやります。




以上

「ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性」

タイトルと参照文献に惹かれて買いました(笑)
著者は成城トランスカレッジを運営している荻上チキ。
有名な炎上の事例が載っていて面白かったです。
内容を一言でいえば、偏りが過剰になってしまうインターネットの状態をどう改善していくか、ということを考えた本です。
たとえば、google検索で上位に出てくるものが偏っていてはマズい→それに対立する考えのものも上位にしよう、ということが事例として書かれています。
ただ、ちょくちょく出てくる情報社会のキーワードは「これホントに必要あるのか?」という感じで、
著者の主張の文脈とは切り離されて、雑然と並べられているようにも思えました。
なので三分の一はキーワード解説本になってます(索引つけろと
たぶんキーワードを入れないと一冊にまとめられなかったんでしょうね。
まだ、若い人なのでこれから頑張ってもらいたいです。
ブログを書く人はこれを読んで、頭の悪い炎上を起こさないようにしましょう。
どうでもいいですがサークル員の人は、たまには小説以外の本も読みましょう。

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

ウェブ炎上―ネット群集の暴走と可能性 (ちくま新書)

館という名の楽園で

館という名の楽園で (祥伝社文庫)

館という名の楽園で (祥伝社文庫)

文庫書き下ろし。
三星館と呼ばれる館で繰り広げられる推理ゲーム。
登場人物のキャラが薄く、物語も短い。
ただ、最後に明かされる「動機」にしんみり。

はじめまして

文学部日本文学科二年のかっぺと申します。
udさんやmauさんと違い、あまり本を読む習慣はありませんが、気が向いたら読了本の書評でも書いていこうかなと思いますので宜しくお願いします。

「ゼロ年代の想像力」とかなんかそんなの

ゼロ年代の想像力」は「SFマガジン」という雑誌の先月号から宇野常寛というライターが連載しているコラムです。
とりあえず割と面白かったので、要約と紹介。


第一回の内容を簡単に要約すれば――90年代後半から台頭した「セカイ系」はもはや主要なタームではなく、ゼロ年代は「決断主義」の時代である。そして「セカイ系」などの影響下にある作品群が未だに強い影響力を持っているかのように思われるのは、東浩紀とそれに追従する者が過大に評価し過ぎたためであり、新しい想像力(決断主義)を評価するためにこれを葬り露払いしなければならない――という、ある特定の層の人たちを煽るキャッチーな内容であるため、一部の人たちにそこそこ注目されている。


第一回で宇野氏が挙げた『「決断主義」にみられる「サバイブ感」を前面に出した作品群』を以下に列挙してみる。
バトル・ロワイヤル」「DEATH NOTE」「コードギアス」「リアル鬼ごっこ」「仮面ライダー龍騎」「ドラゴン桜」「女王の教室」「Fate/stay night」「野ブタ。をプロデュース」「平成マシンガンズ」「蹴りたい背中」「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない
など。


次に『「古い想像力」の典型として挙げられた「引きこもり」と「心理学化」の特徴をもつジャンル、作品群及び作者』
アダルト・チルドレン系」「ポスト・エヴァ」「セカイ系」「桜井亜美」「田口ランディ」「浜崎あゆみの歌詞」「最終兵器彼女」「ほしのこえ」「涼宮ハルヒの憂鬱」「ファウスト」「佐藤友哉」「滝本竜彦
など。


宇野氏の各作品についての言及は一部HPにも載ってます。

連載一回目では「新しい想像力」と「古い想像力」を対比的に論じ、現在では「古い想像力」は閉塞していると指摘。

連載一回目がここまで。

宇野氏は90年代後半を代表する「95年の思想」として「宮台真司」「エヴァ」「ゴーマニズム宣言」の三つを挙げ、その後の差異や内実を論じている。
主に『「価値観の宙吊り」に対する態度としての「〜しない」というモラルのあり方』について論じているが、この「価値観の宙吊りに耐える」ことから「中心的な価値観を選びなおす」立場にシフトしていった後に、「9・11以降のバトルロワイヤル状況」があるのだ、と指摘している。


面白いのはこのバトルロワイヤル状況の捉え方だ。宇野氏は、本田透や「セカイ系」擁護者なども含めて「小さな存在」同士が「信じたいものを信じる」「無根拠でも中心的な価値観を選ぶ」という主張・スタイルを押し通す流暢こそ「決断主義」であり、たとえ無根拠でも信じたいものを信じて主張する決断主義者こそつまり、バトルロワイヤルのプレイヤーなのだ、と述べている。


決断主義」についてはここまでで第三回に続きが載る模様。最後に「決断主義」を論じる伏線のために、少し別の状況認識が挙げられている。
東浩紀のデータベースを引き合いに出し、現在の状況は「軽い現実」「重い現実」に二分されている、という内容。
「軽い現実」とは90年代後半以降の価値観の相対化・消費の細分化のことでコミュニティ層のこと。
「重い現実」というのはアーキテクチャ、つまりWindowsmixi、大型ショッピングモールなどのインフラのことだと説明されている。


「軽い現実」(コミュニティ層)と「重い現実」(アーキテクチャ層)の二環境化を説いて――現実がいくら軽くなったところで、もう一方にある重い現実からは逃れられない*1――と指摘して「リセットできない現実」を考えることがゼロ年代の語る上で重要なのではないか、と説いている。(ここでは「時をかける少女」が引き合いに出されている)


ここまでが第二回までの内容でした。